642901 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

4-00【迷途】


初稿:2013.05.15
編集:2023.10.12
<< 前の話 次の話 >>
※月ノ章の本編です

4-00【迷途】




 一夜が明けた。
 水都アンディーンの放射状に広がる市街地の中心では、白亜の公宮アクア・クレードルが朝日を反射して広壮な佇まいを見せていた。 同建築の大理石の白壁には美しい彫刻が隅々にまで施されており、美術史にも刻まれる芸術的な価値を併せ持っている。 加えて、東西南北に位置する尖塔から伸びた桟橋だけが水都との接点であり、篭城にも適した建築工学の結晶として名高い。
 しかし、晴れ渡った空の下、公宮の一角に集う者たちの顔色は優れない。
 件の襲撃から一昼夜が過ぎて、ようやく経過の確認をとる目処がついたのだ。 事態の相互確認がここまで遅れたのは、水都に帰還して間も無く、出迎えたカタリナ公王の前でミュークが卒倒したのが原因である。 屍族の高い恒常性機能は右肩の傷口を塞いでいたが、血を大量に失ったことで、冬眠状態に陥ったらしい。 代理で状況報告を任されたレムリアも精神的な動揺が激しく、会話にならない有様だった。 ちなみに、普段から無口なルムファムとは、別の意味で会話が成り立たなかったようだ。 結局、ミュークが意識を取り戻すのを待って、今に至る。

「あの後、完全武装の偵察隊を遺跡に送り込みました」

 カタリナが現状を説明する。 偵察隊からの報告では、既に遺跡内部にオルカザード家の屍族の姿はなかったそうだ。 負傷したユイリーンは一命を取り留めたそうだが、プルミエールは未だ発見されず、その生死は不明となっていた。 カタリナは血縁者でもある隣国の王族を危険に晒してしまったことを酷く悔やんでいた。 もっとも、当初カタリナは二人の姫君の遺跡調査団への同行を許してはいなかった。 ユイリーンが無理を押して、帯同を願い出た為に、護衛兵を増員することを条件に渋々許可をだしたのだ。 プルミエールに到っては護衛兼監視役(首につけた縄)を振り切って着いてきたので、カタリナに全ての非を押し付けるのは酷だろう。
 続けて、絹張りの円座に腰を下ろしたミュークが、一連の出来事を有りのまま打ち明ける。 同盟関係にある以上、情報の共有は最低限必要なことだ。 カタリナは努めて冷静であったが、シャルロットの出生に関して話が及んだ際、一瞬だが、その表情に暗い陰が過ぎった。 ミュークもそれに気づいたが、敢えて聖女の血筋に関して追求することはなかった。

「オルカザード家に対する手配は水面下で進めています。 元より、そう易々と上級屍族と交渉が成立するとは考えていません。 今まで同様に彼等の所在と動向を知ることが目的です。 仮に接触が可能なら付け入る隙も生まれることでしょう」

 カタリナが一同を見渡してアルル=モア公国の指針を説明する。 安易に事を表沙汰にすることで、プルミエールの命が危険に晒されることを避けたのだろう。 国の威信と姪御の命を天秤にかけた上での苦渋の決断だった。

「最悪の事態も想定せねばなるまい」

 ミュークが血を吐くような面持ちで口を開いた。 プルミエールが命を落としていた場合、アルル=モアが如何に対応するのか知る必要があった。 それでも婉曲に訊ねたのは、カタリナの心情を慮ったばかりではない。 ミューク自身がそれを口に出すことを憚ったからだ。 だが、訊かねばならない問題だった。 メナディエル正教圏にある国家は、オルカザード家とは不可侵の密約を結んでいる筈である。 それを破棄せざるを得ない状況に陥った時、ウィズイッド家との友好関係にも軋轢が生じることは避けられない。 人族が潜在的に抱き続ける屍族に対する恐怖や不信感が爆発すれば、カタリナが望む望まざるに関わらず、国内外から批難の声があがるだろう。

「僭越ながら、宜しいでしょうか?」

 静かだが、強い意志を宿した声。 一同の視線が扉口に佇む人物に向けられた。 そこには、白塗りのドレスに白紗を幾重にも巻きつけた紫白髪の屍族。 遺跡で一行の危地を救ったファナ=ローズオリビアの姿があった。 彼女はウィズイッド家由縁の屍族として、この場に招かれていた。 ミュークの勧めで帯同しているが、人族に己の正体を明かさないという条件付である。

「勿論です。 アナタをこの場にお招きしたのは、その為でもあるのですから」

 カタリナが発言を促す。 ファナは恭しく一礼すると、再度形のいい唇を開く。

「では謹んで申し上げます。 あの人族の少女があの場で殺されることなく連れ去られたのならば、この先、命を奪われる可能性は限りなく低いと思われます」

「玄室の封印を解く為の、取引の材料にすると?」

 カタリナは慎重な口調で問う。 殺すだけなら連れ去る手間をかける必要はない。 ここまでの経緯を考えれば、もっとも妥当な推察だろう。

「それは、わかりません。 しかし、あの男は短気で激しい気性の持ち主ですが、一度助けた命を徒に奪うことは、その無駄に高い自尊心が邪魔をすることでしょう」

「そうあって欲しいとワチキも思うが……。 怨恨に蝕まれた者が、その因となる存在を見逃すとは到底思えぬ」

 ミュークが精彩さに欠いた面持ちで呟いた。 その姿は期待することに怯えているようにもみえた。
 あの場でルドルフの息子が放つ、リュズレイの血脈者に対する冥い憎悪にあてられた者なら、当然の反応である。

「私と斬り結んだ赤毛の屍族を覚えていますか?」

 ファナの問い掛けはミュークへと向けられたものだ。

「うむ、かなりの手練だと素人目にもわかった。 さぞかし名のある屍族だと推察するが、それと何の関係があるというのじゃ?」

 ミュークが問い返す。 思い出しただけで、戦慄が背筋を逆流する感覚に襲われる。 それほどの鬼気を宿した屍族だった。

「あの赤髪の娘の名はアーネル・バルズール。 この一件に関しては、彼女が助命を求めたと考えて相違ありません」

「……バルズール? いや、まさか、彼の一族の血統はとうの昔に途絶えたと聞いておったが……。 噂とはとんと当てにならぬものじゃな」

 ミュークが大きく唾をのみこんだ。 驚きを禁じ得ないようだ。
 バルズール家は、血統アルカナ“戦車”の継承血族にして、嘗て南西大陸一帯を支配していた大屍族である。 盲目の魔女が異界より召還した真紅の流砂に呑み込まれ、そこに存在した文明と共に一夜の内に滅び去ったと史実には記されていた。 それを裏付けるように、南西大陸は今現在もアネクメネビュートと呼ばれる死の砂漠に覆われている。

「あの男も血統アルカナ“戦車”の能力には一目置いています。 故に彼女が側にいる限り安全です」

 ファナの言葉に淀みはない。 なんらかの確信があっての発言なのだろう。

「ふむ、今はファナ殿の言葉を信じるしかあるまい。 ならば、アルル=モア公国の指針に従いプルミエール嬢の奪還を優先すべきかの」

 幾分、落ち着きを取り戻したようで、ミュークは深く円座に腰を下ろした。 同時に、片腕を失った右肩から鈍痛が走った。 やにわに、ミュークの口元に苦笑が湛えられる。 焦燥感から傷の痛みを忘れるほど、あの人族の少女に入れ込んでいたことに気づいたようだった。

「問題は山積みです。 今は、一つずつ出来ることから片付けていくしかないでしょう。 皆さんとは、密に連携をとる為、公宮に滞在して貰おうと考えていますが、無理強いをするつもりはありません。 不満があれば遠慮なく申し出てください」

「過分な持て成しじゃが、ここは窮屈で適わん。 塒ぐらい自分たちで用意する―――と言いたいところじゃが、生憎懐が寂しい」

 ミュークの応答は歯切れが悪い。 ウィズイッド家がヤガ=カルプフェルト王国に身を寄せていた当時も、王宮暮らしが性に合わず辺境の古城に引き篭もっていたのだ。 今更、人族の規律に縛られるのは、御免被りたいようだ。 それでも、 奥歯にモノが挟まった物言いになるのは、子供染みた我侭に聞えるようで、体裁が悪いからだろう。

「では、プルミエールが泊まっていた水面の銀月亭に部屋を用意しましょう。 金銭的なことは心配せず存分に寛いでください」

「う、うむ……感謝する」

 ミュークはばつが悪そうにカタリナから顔を背けた。
 数刻後、相互伝達の術を確認して散会となる。 会合の場を退出すると、ミュークの視線が随従する双子―――レムリアに向けられた。 屍族の少年はずっと俯いたまま小さく震えていた。 自らを庇いミュークが右腕を失ったことに対して、自責の念に駆られているようだ。 ルムファムの方は、一見するといつも通りの無表情ではあるのだが、きつく握られた両手がうっ血して青白く変化していた。 こちらはこちらで己の不甲斐なさに忸怩たる思いであるようだ。

「(こちらもどうにかせねばならんな……)」

 ミュークは心の裡でそっと独り言つ。 悩みの種は尽きなそうだ。



<< 前の話 次の話 >>


© Rakuten Group, Inc.
X